3月13日(木)

3月13日(木)

『彼はそれを掘りおこし、石を除き、それに良いぶどうを植え、その中に物見やぐらを建て、またその中に酒ぶねを掘り、良いぶどうの結ぶのを待ち望んだ。ところが結んだものは野ぶどうであった』イザヤ書5章2節


イスラエルの民を、主のぶどう畑になぞらえるイザヤの言葉を読むと、神様には、祝福した人達から愛される権利があるのだと分かる。
神様には、民が従順である事を期待する権利がある。

だけど、私達の多くは、残念な事だけれど、イザヤの時代の人々と同じように、神様に対する感謝をほとんど口に出して表そうとはしない。
反対に、神様に逆らって、罪を犯す事もある。

神様は、このような行動を裁く権利を持っておられる。
歴史は、神様を無視し、聖書の御言葉を拒絶するなら、その国民は苦しい思いをする事を語っている。

私達は、自分達の権利ばかりを主張し、恵まれない人々の事を考えず、不条理な要求をする国民になりつつある。
また、個人の自由を声高に主張する一方で、神様の権利をほとんど話題にしないのは、一番悪い事じゃないだろうか。

私達は、神様が「ぶどう畑の主」であると認めるべきなのだ。
このお方は、私達の人生に結ぶ実が、神様の恵みを知らない奔放な野ぶどうの実じゃなくて、神様への愛と従順という良いぶどうの実である事を期待しておられる。

自分のやり方に固執しないで、神様のやり方にゆだねる時、本当の自由が見つかる事を忘れてはいけない。
それこそが、神様が結ばせてくださる良いぶどうの実なのだから。

God Bless You!!