2025年9月29日(月)の手紙
『それゆえ、私の心は喜び、私の舌は喜びにあふれます。私の身も、望みの中に住まいます。』使徒の働き2章26節
アブラハム・リンカーンは言いました。
「多くの人は、自分は幸福であると思うほどに幸せである」と。
世界の幸福な人々を観察した人はいくつかの共通な傾向を見い出します。
喜びがある人はそれを分かち合い、他の人々に太陽の光を注ぐように思われます。
幸せであることは私たちが幸福であると思うことであれば、他の人々がまず幸せになるように助ける必要があるように思われます。
私たちは与えるときに得るのです。
事実、与えなければ、自分のものとすることができません。
喜びの特質は、喜びを分かち合うことです。
サラが創世記21章6節で言ったように、「神はわたしに笑いをお与えになった。
聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう。」
古いクリスチャンの格言に「悲しい聖人は可哀想な聖人である」というのがあります。
悲しい聖人とは言葉に矛盾があるといえるかもしれません。
クリスチャンであることは喜びに満ちているということなのです。
三世紀の殉教者の言葉をキプリアンはうまく述べています。
悪い世の中、ひどく悪い世の中です。
しかし、そのただ中に偉大な秘訣を学んだ静かな聖なる人々を見い出しました。
彼らは罪深い喜びよりも何千倍も素晴らしい喜びを見い出しています。
彼らは軽蔑され、迫害されていますが心配しません。
彼らは自分の魂の主人です。
彼らは世の中に打ち勝ったのです。
これらの人々はクリスチャンです。
そして私はその一人です。
私たちには同じ喜びがあります。
同じ秘訣を知っています。
ひどく悪い世の中を喜びに導くことを助ける主がおられます。
痛みにおいてでさえも喜びの心を持つことができ、喜びの言葉を持てるのです。
イエス様、
喜びの秘訣を教え続けてください。
それで私は最も必要なところにそれを分かち合うことができます。
アーメン
God Bless You!!