2025年9月21日(日)の手紙

『自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです。』マタイの福音書10章39節


アフリカでは猿を食用とするために捕獲します。
動物を罠で捕まえるために、巧妙な方法が使われています。

大きな木製の壺が木に固定されました。
それぞれの壺には大人の猿の広げた手を入れるのに十分な口がありました。

キャンディの匂いで猿が誘われて中に手を入れるようにその壺にキャンディが入れられます。
しかし彼らのキャンディをつかんで折り曲げられた握りこぶしは大きすぎて、壺の口から出すことができません。

多くの猿は狩人が近づいて来るのを見ても彼らの宝物を放そうとせず、逃げずにキャンディを離しません。
彼らは自分たちの愚かな貪欲さによって罠にはまってしまいます。

私たちは同じ罠にいます。
欲張りな猿のように嗜癖にしがみつき、まだ自由でいられると思っています。

罠を見て、狩人が来たときでさえ、悪い習慣にしがみつきました。
とうとう両方を手に入れることができないことを悟ったとき、私たちは「あきらめ、神にゆだねます」。

その時、私たちは自由を見い出しました。

はっきり言って、私たちは愚かで、馬鹿な猿ではありません。
キャンディへの魅力は明らかに強く、もっともでさえあります。

要するに、私たちは自分の嗜癖や苦境を気づいていませんでした。
心が曇っていました。

しかし一度その罠を見て、そこに捕らえられていることがわかり、しかもなおそのキャンディにしがみついていれば、私たちは猿になってしまいます。

イエス様、
どうぞ私の欲をみて私がそれから自由になり生活できるように助けてください。
アーメン

God Bless You!!