2025年9月15日(月)の手紙

『イエスは弟子たちに答えられた。「神を信じなさい。」』マルコの福音書11章22節


私たちの好きな言葉のひとつは安全です。

私たちは国家の安全、社会の安全について話します。
私たちの安全を確実にしようとするために、数十億ドルが防衛武器の製造に費やされています。

しかし救いと安全は同じではありません。
救われることと安全であることは必ずしも相伴いません。

信仰は安全でもないし、簡単でも、安心でもありません。
それらはダイナミックで、はらはらするものであり、怖いのです。

信仰は安全を提供しませんが、永遠のいのちを与えます。

無事と安全は恐れる人のための監獄です。
成長と救いは数え切れないほどの危険の中にある広大な可能性に開かれている自由な世界です。

嗜癖は安全と無痛な手段を提供します。
回復は選択、変化、勝利の自由を提供します。

私たちは巡礼者で、いつも無防備で不安なものにさらされていて安全でないのです。
しかしいつも生きて、本当の危険に対して油断なく警戒しています。

安全な壁の後ろに隠れずに、オープンになり、キリストにあるあらゆる恐れを感じたり抱いたりする感じやすい人々になって、恐れに立ち向かいます。

十字架に釘で打ちつけられることは危険なことです。
十字架につけられ、苦しんでいる主とともにいるのは安全ではありません。

しかしそれは安心以上のものです。
それは勝利で、栄光ある愛なのです。

それは永遠の復活であり、新しい命です。

主よ。
私はあなたにあって持てる愛と信頼を除いては安全も安心もないことを知っています。
アーメン

God Bless You!!