2025年7月31日(木)の手紙
「わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。」マタイの福音書5章17節
ある有名なコメディアンが子ども時代のお話をしてくれました。
彼はあるレストランで、おいしいご馳走を食べ終わるところでした。
その時に年老いた浮浪者が入ってきて26セントの食事を注文しました。
彼はゆっくりと残らず食事を味わい、お金を支払うときになって、お金が無いとだけ言ったのです。
店主は彼を瓶で殴り、彼の顔に傷を負わせてから蹴り始めました。
コメディアンは言いました。
「彼を離してください。
私が26セントを払います」
その浮浪者はどうにか立ち上がり、カウンターに寄りかかり言いました。
「お金をしまってください。
あなたはお金を払う必要はないよ。私が今、払ったから」
浮浪者は彼の傷と血で支払ったのです。
私たちもそうしました。
私たちは過度の飲酒や嗜癖に対して支払いました。
私たちは支払を逃れることができると思っていましたが、誰も逃れることができません。
私たちの共依存の愛する人たちは私たちを救った時に、かばった時に、私たちのために嘘をついた時に、私たちの癖を助けた時に代価を払い、そしてとうとう誰もが支払うのを止めたのです。
回復途上のクリスチャンとして、癖を治したり、借金を支払ったり、償ったりすることを試みるときに、私たちは借金の清算に近づくことさえできないことがわかります。
私たちは最高の支払計画を知っています。
救い主は彼の命で支払ってくださいました。
彼を苦しめる者による切り傷、むち打ち、けりを甘受しました。
イエス様はあの浮浪者が行ったような方法で、彼の傷と血で私たちに償ってくださいました。
イエス様は十字架から貧しい私たちをやさしくご覧になり、言われます。
「あなたがたは支払う必要はありません。
私が支払いました」
イエス様、
律法を完成し、私の罰をあなたが引き受けてくださることを感謝いたします。
アーメン
God Bless You!!