2025年7月30日(水)の手紙

「ところで、あなたがたはどう思いますか。ある人に息子が二人いた。その人は兄のところに来て、『子よ、今日、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。」マタイの福音書21章28節


ある心理学者が3000人の人々に「あなたは何のために生きていますか」と質問をしました。
そして94パーセントが、未来を待ちながら現在をただ耐えているということを知ってショックを受けました。

すべての人が何かが起こることを待っている——子どもたちが成長し独り立ちすることを待っている、来年が来る、休暇や旅を待っている——誰もが持っているのは今日だということを気がつかないで明日を待っているのです。

昨日は去ってしまいました。
明日は、今は来ないのです。

回復は待合室ではありません。
それは運動用の体育館です。

時計で動き回り、利益をもたらし、結果を求める工場なのです。

私たちの健康は待つことによってではなく、行うことによって成し遂げられるのです。
私たちは待ったり、夢見たり、願ったり、明日はより良くしようと決心したりしていました。

回復は今日の活動のためのものであって、明日の希望的観測ではないのです。
回復途上のクリスチャンは待つ人ではないし、たじろぐ人でもありません——従う人です。

今日が私たちの競技場で、活動は私たちの使命です。
それぞれは繰り返しの多いゴールです。

それぞれのゴールは行いによってだけ到達されるのであって、待ったり、望んだりすることによってではありません。

そのステップは私たちの旅の道しるべです。
それぞれのステップは私たちを正しい方向へ向かって進み続けさせます。

すべてのステップを今日歩むことはできませんが、毎日のステップとなる少なくとも一つのステップがあります。
待たなければならないステップもありますが、毎日数回歩むこともできます。

イエス様、
あなたは今日という日を与えてくださいました。
待つことをしないで、現在に打ち込ませてください。
アーメン

God Bless You!!