2025年7月3日(木)の手紙
「主にあって召された奴隷は、主に属する自由人であり、同じように自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。」コリント人への手紙 第一7章22節
神への明け渡しには栄光と喜びがあります。
他の主人たちに降伏すると押しつぶされ、辱められ、敗れるのです。
私たちの人生を神へ完全に服従させるとき、私たちは神に栄光を与えられ、勝利を与えられます。
名前不詳の詩人は神の手にある私たちの服従する名誉を知っていました。
私を捕虜にしてください、主よ。
そうすれば私は自由になるでしょう。
私たちの意志や行く先を神にゆだねるとき、神に会うことができます。
神のご意志で私たちは何も持たずにまさに、ただお会いできるのです。
リチャード・バックスターという偉大な英国の清教徒は「主よ、あなたのなさろうとすること、あなたがなさろうとする所、あなたがなさろうとする時」と言いながら亡くなりました。
私たちが、完全に自分の人生を神の支配にゆだねる時、誰かが言ったように熱狂した信者になります。
しかし、神が支配する時、健康と回復を与えられ、私たちの存在は有害な中毒性のものから離れます。
神に明け渡し、服従し、自分自身を神にゆだねるしか方法はありません。
とても難しいですが、完全に必要です。
主なる私の神さま、
すべての面で私はあなたの忠実な召使です。
あなたのご意志どおりに私を用いてください。
アーメン