2025年7月25日(金)の手紙
「神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」エペソ人への手紙1章5節
ある家族が地方のリゾートへ行くところでした。
その計画について何も知らされていない六歳の娘は車に乗ってから尋ねました。
「お父ちゃん、どこへ行くの。どこに着くの」
これは人生の質問です。
私たちの行き先はどこですか。
何が私たちの運命なのですか。
ある人が自分の死亡記事を地方新聞で読み、ショックを受けました。
怒って彼は編集者に電話しました。
「先週の金曜日の新聞に出た私の死亡記事について電話しています」
「はい、旦那様、どちらからあなたは電話をしていらっしゃいますか」
昔から私たちは天国か地獄に向かっているといわれます。
しかし、それは最初の停車駅である死を越えてから行くのです。
死はすべての生命にとって行き先です。
しかし、何かが私たちに叫びます。
「私たちの行き先が死であるはずがない。私の行き先は命です」
クリスチャンの信仰における回復は次のことを明らかにしています。
私たちの運命はチャンスの問題ではなく、選択の問題であると。
それは待つべきことではなく、成し遂げられることであると。
運命は時間や場所を述べられる行き先ではありません。
私たちはある場所へと行こうとはしていません。
神と共にいるようにと招かれているのです。
神の子どもたちになるよう招かれているのです。
私たちのゴールは私たちがどこへ行くかではなく、誰になるかということです。
私たちはどこへ行くのですか。
神の子どもたちが行く場所はどこでもよいところでなければなりません。
主なるキリスト、
私はあなたがおられる所はどんな所でも行くことに決めます。
その場所だけが私の運命です。
それだけが私の行き先です。
天にはあなたが共におられ、地獄にはあなたはおられません。
アーメン
God Bless You!!