2025年7月20日(日)の手紙

「互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」ヨハネの福音書13章35節


ある偉い哲学者がかつて言いました。
「自分自身の完璧さと他の人の幸せを追求することは私たちの義務である。
自分たちの幸せや他の人の完璧さを求めることではない」

これはまた与えられる愛ではなく、与える愛と呼ばれています。
与えられる愛は「猫の愛」とも呼ばれています。
なぜなら猫があなたにすり寄るのはあなたを愛しているのではなく、自分自身を愛しているからなのです。

自己愛は、愛ではありません。
エーリッヒ・フロムは、愛は自己を与えることと述べています。

愛は保証なしで自分を捧げるという意味です。
その愛が愛する人の中に生きるという望みを持って完全に自分を与えることです。

愛は信仰の行いです。
信仰のない人は愛もありません。

回復、嗜癖から自由になることは私たちが神に信頼することにおいてなされます。
自己の明け渡しを覚悟すること、「すなわち自己を完全に与えること」で新しい健全さと希望を得られるのです。

私たちが信頼すればするほど、愛することができます。
愛すれば愛するほど愛は実を結びます。

人を愛するという冒険を伴う仕事には保証はありません。

パウロは愛を次のように述べています。
「愛は寛容であり、愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。
すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。」
コリント人への手紙 第一 13章4~7節

このような愛は神にゆだねる、覚悟をすることから生まれるのです。

私の魂の愛する人よ、
より深く、より良く、より自由に愛することを私に教えてください。
アーメン

God Bless You!!