2025年7月16日(水)の手紙
「あなたがたは彼らを実によって見分けることになります。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるでしょうか。」マタイの福音書7章16節
あるクリスチャンの牧師がロータリークラブの会合で話しました。
彼は話し終わったとき、ラビの隣に座り、尋ねました。
「先生、私はあなたにとって今日はクリスチャンすぎましたか」
彼は言いました。
「いいえそうではありませんでしたよ。
人はクリスチャンになればなるほど、ユダヤ人をより良く扱いますよ」
これは多くの宗教において真実なことです。
私たちが宗教的な目標を実践すればするほど、お互いをより良く扱うものです。
他への思いやり、世話、感受性、愛は人間を慈悲深くします。
私たちはお互いにいつも話すことができますが、本当の人間を創るのはお互いをどのように扱うかにかかっているのです。
いかに行動すべきかは、最高の人間であるイエス・キリストの例に最もよくみられます。
すべての人々の価値への愛と思いやりは私たちすべての人にとってモデルです。
生きた愛がどのようなものであったかはイエスが示しています。
イエスは私たちに同じ愛を与えることができます。
私たちの最も大きな医学的な問題は動脈が硬くなることではなく、心が硬くなることなのです。
私たちが防御的になったり、攻撃的になったり、人と交わらなくなったりする時、私たちは心をコンクリートで固めてしまうでしょう。
私たちが他の人の痛みや苦しみを思いやったり、泣いたりすることを止める時、私たちはすでにセメントに入れられているのです。
私たちが高い力に求めるものや人がどんなであれ、そこに愛や思いやりが見られなければ、邪悪を見ているのであって神ではないのです。
愛はすべての命の中心です。
愛なしでは私たちは腐敗します。
愛なしでは私たちは回復できません。
キリストさま、憐れみ深いお方、
どうぞ私に愛の恵みだけをお与えください。
そうすれば私はすべてを所有することになります。
アーメン
God Bless You!!