2025年7月12日(土)の手紙

「さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。」マタイの福音書7章1節


無批判は人々を批判しない技術と呼ばれてきました。
それは賢い人にはやさしく、利口な人にとっては難しく、独善的な人にとっては不可能です。

批評は賢い人にとっては難しいのです。
なぜなら知恵は頭の良さや独善とはかかわわりないからです。

知恵は名指しで非難したり、粗探しをして責めたりするのを慎むのです。
賢い人はとても思慮分別に富むので、鋭い批判を言ったり、名指したり、人々にレッテルを貼ったりすることができません。

ある寓話にペルシャの王が彼の四人の息子たちが他の人を批判するのをやめさせようとしているお話があります。

長男は王の命令で冬にマンゴの木を見に旅に出ました。
春がくると次男は同じようにその木を見るようにと送られました。
夏になると三男が送られました。
末っ子は秋になってそこへ行きました。

王は全員を一緒に呼んでマンゴの木について述べさせました。
長男はそれが焦げた切り株のようだったと言いました。
次男はそれが美しいレースのような緑だったと言いました。
三男はその花はバラのように美しいと言いました。
末っ子はその実は梨のようだと言いました。

「お前たちの一人一人は正しい。
お前たちは違った季節にそれを見たからだ。
この教えを覚えておきなさい。
裁いてはいけない。
お前たちは全体の真実を知らないからだ」と王は言いました。

これは回復中のクリスチャンにとって良いアドバイスです。
パウロは私たちに自分自身をも裁かないように警告します。

「しかし私にとって、あなたがたにさばかれたり、あるいは人間の法廷でさばかれたりすることは、非常に小さなことです。
それどころか、私は自分で自分をさばくことさえしません。
私には、やましいことは少しもありませんが、だからといって、それで義と認められているわけではありません。
私をさばく方は主です。」コリント人への手紙第一4章3節~4節

イエスさま、
どうぞ私の確信が愚かにならないように助けてください。
私を責めや裁きから自由にしてください。
そして私がいつも率直で建設的になれるように導いてください。
アーメン

God Bless You!!