2025年7月1日(火)の手紙

「あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。」マタイの福音書7章3節


ある土曜日、新しい聖職者が町にやってきて、郵便局への行き方を一人の少年に尋ねました。
牧師は行き方を教えてもらってから感謝してその小さなガイド役に言いました。

「君は頭の良い少年ですね。
明日私の説教を聞きに来ませんか。
そうすれば天国への行き方をお話しますよ」

その少年は答えました。
「天国への行き方をあなたが私に教えようとするのですか。
あなたは郵便局への行き方さえ知らないのにですか」

イエスには核心に行く道があります。
神は私たちがどこに行けないかがわかっています。
神は私たちが空気に気づかない鳥や、水に気づかない魚のようだということを知っています。

私たちは周囲の状況があまり近くてわかりません。
自分の顔もみえません。
他の人に真実の鏡を持ってもらう必要があります。

イエスは言います。
他の人の目にある小さな木の破片を見ようとして自分たちの目から大きな木の破片が突き出している人々のようだと話します。

他の人を批判するとき、自分が何と愚かなのかということがわかると、自分を笑い始めることができるでしょう。
自分が正しいと、大げさにしかも誇りにしていることがわかると、自分が間違っていることを楽しく、安心して許すのです。

多くの回復中の勝者は快く、敗者であることを認めます。
それについて笑います。

真実なキリスト、
あなたの現実を見る鏡を私に向けて持ってください。
そして現実の自分の発見によるつらさを笑いで和らげてください。
アーメン