2025年6月7日(土)の手紙
『細縄でむちを作って、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒し、』ヨハネの福音書2章15節
ある気性の激しい女性が死にました。
彼女の棺が墓地に降ろされたとき、突然嵐が起こりました。
風はヒューヒュー吹き、稲妻が光り、近くの木に落ちました。
彼女の夫はすぐに天を見上げて、「彼女が到着したのだ」と言いました。
回復途上で私たちは怒りについて警告されています。
怒りが問題になることはこの世では疑いもありません。
怒りはまた、恵みにもなり得ます。
怒りは私たちを動かすことができます。
怒りは私たちを呼び起こし、行動にかりたてます。
そのエネルギーは大きな力を持っています。
怒りが私たちをかり立てるとき、行動します。
しかし、問題は怒りのエネルギーではありません。
それがどのように表現され、行動に移されるかということです。
クリスチャンはキリストの福音に合う方法で怒りを示すべきです。
不正、不道徳、悪、浪費に対して怒る権利のすべて——義務さえも持っています。
これらの悪に対する正義の怒りを抑えることは信仰表現の怠慢になるのです。
パウロはエペソ人への手紙4章26節で怒りについて三つのことを述べています。
初めに「怒りなさい」と言っています。
そうしなさい、怒りを感じなさい、奮起しなさい。
それはオッケーです。
しかし、次に彼は「罪を犯さないように」と付け加えています。
罪深く、残酷で、非キリスト教的な方法であなたの怒りを表してはいけません。
最後に、「日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」と言っています。
あなたの怒りが一日を終える前に解決され、使い果たされるように確かめなさい。
蓄積された怒りは敵意になります。
怒りは保たれません。
それはミルクのように腐ります。
それはためられると怒りと憎しみの腐った酸になります。
回復への良いアドバイス——私たちの生活に酸は必要ありません。
聖なるイエス様、
あなたが深く愛するとき、あなたは深く怒られます。
あなたが心にかけていることと同じことに怒ることができるように教えてください。
アーメン
God Bless You!!