2025年6月2日(月)の手紙

『イエスは涙を流された。』ヨハネの福音書11章35節


ある有名な昔話は、深く絶望し、疲れ果て、体力的にも弱り果てたラビのことを書いています。

ヨム・キプル、すなわちキリストの贖罪の日が近づいていました。
これは悔い改めと修復のための最も聖なる日でした。
毎年のようにイスラエルの罪が洗われ、その弱さが癒される日でした。

神父が訪れて「あなたは何か改める必要がありますか」と叫んだとき、その悲しいラビは入口に立っていました。
ラビはそれを神の声のようだと言い、すぐに彼自身が修復されなければならないとわかりました。

自分が癒しを必要だということをわからないでいることがよくあります。
一度気づくと、助けを求め始めることができます。

しかし気づくだけでは十分ではありません。
助けられること、他の人も助けられていること、希望があることを知る必要があります。

私たちは一人ではありません。
かつてある精神科医が自殺を数回試みた十代の患者を、絶望的な人々を演じる悲しい劇に連れて行きました。

彼の友人が尋ねました。
「このかわいそうな女の子はすでに恐れや悲しいことでいっぱいなのに、このような希望もない、絶望的なドラマになぜ連れて行くの?」

その医師は言いました。
「この悲しいドラマは患者の心を開いたのですよ。
あの夜、彼女は劇場から出るときはまるで踊っているようでしたよ。
彼女は他の人も彼女と同じであることをとうとうわかったのですよ。
もし、彼女を元気のよいミュージカルに連れて行ったら、彼女は望みのない絶望へとさらに沈んでいってしまったでしょう」

回復がそのようなものであることは不思議ではありませんか?
私たちの周りにいる快活で、元気よく、楽しい人は本当に私たちを意気消沈させるのです。
彼らはとても現実とは思われないからです。

十字架の涙や悲しみや、痛みを分かち合えた経験は私たちを引き上げ、命へとつなぐ癒す力を持っています。

聖なるイエス様、
あなたの涙や苦痛は、私が悲しみ苦しむ時にあなたにより近づけてくださいます。
私は決して一人で泣かないことを知っています。
アーメン

God Bless You!!