2025年6月18日(水)の手紙

『ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です。』マタイの福音書7章12節


山上の垂訓はイエスの教えの真髄と呼ばれてきました。
教訓の最高峰エベレストと呼ばれてきました。

多くの市民のクラブはモットーとしてそれを使っています。
しかし、フロイドは言いました。

「私たちが隣人を自分たちのように愛さないことは良いことである。
さもなければ、私たちは彼らを殺してしまうでしょう」

もし私たちが山上の垂訓を主要なガイドとしてみるなら、面倒なことになるでしょう。
フロイドは正しいです。

もし願望が自分を指図することになれば、私たちは自分の思うままになります。
回復途上の多くの人は自尊心と自己愛の質が安っぽいものであることに気づきます。

もしそれが私たち次第ならば、私たちの衝動はアルコール、食べ物、薬、ギャンブル、そして、私たちを中毒にしたり、だめにしたりする行為を求めるでしょう。

いかに私たちが扱われるかがあなたと私次第で決まるならその視野は低すぎます。

幸いにも、聖書の言葉は聖書の文脈の中にあります。
山上の垂訓は神にまず依存します。

私たちの愛、信仰、祈り、キリストの神への依存は、私たちの古い独立した、わがままな自己よりも質の高い新しい自己を創造します。

私たちが神の愛の恵みに生き、神の栄光とやさしさに満たされるとき、山上の垂訓にあるものを手にしています。
神の存在なしにはそれは全く垂訓ではないのです。

私が山上の垂訓を理解する前に、主よ、私を垂訓で指図してください。

God Bless You!!