2025年3月29日(土)の手紙

「御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」マタイの福音書6章10節


ある偉大な作曲家が質問をされました。

「もしあなたが晩年を孤島で過ごさなければならなくなったら、あなたの400曲もの作品からどれを持って行きたいですか」

「白紙の紙を持って行きたいですね」と彼は答えました。
「私の好きな曲はいつも明日書く曲なんです」

いかなる最悪な状況の中でさえも、人は望み、創造し、美や意味を見いだすことができます。
孤島にいるときでさえも。

クリスチャンにとって、望みはポリヤナの楽観的な態度と同じではありません。
イエスの御国を私たちの人生にきたらせるという約束にある望みには慰めという感覚が宿っています。

クリスチャンの望みは人生の苦しみのただ中で、地獄にいるような時でさえも、恵まれた確かな希望なのです。
嗜癖への戦いで見いだす勝利は、私たちの努力が病や永遠の死に対するキリスト自身の戦いに加えられるという確信にかかっています。

「私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。」

神の意志はこのようになされるものであり、それが命の神のご意志なのです。
結局、私たちはキリストの勝利によって勝ったということを知っており、神の苦しみと、死と、復活の恩恵を保証されています。

パウロは言いました。
「しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」

聖なる主よ、
あなたは私たちに祈ることを教えてくださいます。
あなたの御国で私の意志ではなくあなたのご意志で、望みを生かし続けてくださいます。
アーメン

God Bless You!!