2025年3月28日(金)の手紙

「イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」ヨハネの福音書11章25節


A・J・クローニンの『宮殿の鍵』の中で、キスホルム神父は数多くの失敗にもかかわらず、圧倒するような難しい出来事に対して、彼の人生を捧げる伝道師です。

ある日、最近の洪水で畑を失い嘆いている農夫に話しています。
「私の作物はすべ失われました。
すべて最初から始めなければなりません」

農夫は泣いて言います。
キスホルム神父は静かに答えるのです。
「しかし、それはしかたがありません。
友よ、すべてが失われたときは再び始めるのです」

それは、十字架と復活、受難の金曜日とイースターの神秘への道でもあります。

クリスチャンの生活は死と復活の絶えざる連続です。
命は多くの死と生まれ変わりでできています。

私たちの作物は流されてしまいますが、やり直すことができます。
それは避けられません。

回復の途上にあるコミュニティに住む私たちは恵みのこのパターンをはっきりと見ることができます。

私たちはいつも、生まれ変わります。
すべての会合、すべての祈り、教父母とのすべての関係、読むすべての本は死と命の事実で迎えるのです。

何かが死にますが、何かが復活します。
それが回復です。
回復は再生、変化です。
古い物は死に、新しい命にと復活するのです。

本当の回復は静的ではありえません。
生き生きとした回復はいつも変転しています。

回復は「歩むこと」であり、「立っている」状態ではありません。
新しい命に生まれ変わるプロセスには反発と悲鳴が起こります。
それは神の行いです。

死と命の主よ、
「失う」と「得る」のサイクルを受け入れることができますように。
そして、私の死と復活においてあなたのご臨在への信頼に自分自身をゆだねることができますよう、導いてください。
アーメン

God Bless You!!