2025年3月22日(土)の手紙
「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。」ルカの福音書22章42節
ある偉大な哲学者が次のように述べました。
ゲッセマネの園でイエスが経験した苦悩は、宗教の歴史の中で、最も崇高な瞬間であるし、永遠にそうであろうと。
もちろん、それは一人の意見です。
明らかにキリストの受難記念日やイースターは生き生きとした記念すべき出来事です。
なぜゲッセマネの園を最も崇高というのでしょうか。
たぶんそれは園でのイエスの苦悩が十字架と復活という結果になる決心に導いたからでした。
園における決意の苦しみがなければ、十字架も空の墓も存在しなかったでしょう。
私たちは「私からこの杯を取りのけてください」と神に叫んだ時、苦しみの園を経験したのではないでしょうか。
私たちの意志、願い、必要を主張しようとするとき、神と共に取り組む経験をしましたか——まだしていますか。
しかし、もし、私たちがイエスに従うなら、私たちの生活と意志を神にゆだねること——イースターは前方にあります。
それは十字架の痛みを通してのみ訪れるのであって、古い讃美歌にあるように、「もし、私たちが十字架を背負うことができないならば、私たちは冠をかぶることができない」のです。
ゲッセマネの園では十字架をもたらすと同時に冠も現れます。
生活と意志を神へ完全に無条件に明け渡すことによって、力と決断力が流れ出て、愛と奉仕と平和のある新しい生活へと再び復活するのです。
回復の素晴らしい事実は、いつもそこにあるということです。
回復するなかで驚くべきことは、日ごとに一つ一つを神へ明け渡しすることが回復し続ける新しい力になるということです。
主なるキリストよ、
幾どとなくあなたは新しい十字架と新しい復活に向かい、ゲッセマネの園のお手本を与えてくださり、私をいつも従えるようにしてくださいました。
アーメン
God Bless You!!