2025年3月19日(水)の手紙

「見つけたら、喜んで羊を肩に担ぎ、家に戻って、友だちや近所の人たちを呼び集め、『一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うでしょう。」ルカの福音書15章5節~6節


初期のイエスのある肖像画の一枚は彼を羊飼いとして描いていました。
肩に小羊を担いでいます。

多くの人はこのような肖像画を見たことがあるでしょう。
小羊を自分のように見る人もいます。
主の腕に安全に支えられているという思いは慰めであり、安心させます。

しかしながら、主に持ち上げられ、抱えられるという思いは私たちの多くの人にとって、受け入れることが困難です。

「私は重すぎます」
「私は恥ずかしいです」
「私はとても品位があります」
「私は弱くありません」

私たちの心はこのような思いでいっぱいです。
「とても疲れました……とても具合が悪いです……私は弱い人間です」と認めなければならなくなるまでは。

誇り高い人にとっては救い主の強い腕に任せ従うことは屈辱ですが、疲れた人々や、病気の人々には喜びをもたらします。
助けられることから私たちを遠ざけるのは私たちのうぬぼれです。

羊はうぬぼれていません。
気まぐれで、言うことを聞かず、がんこで、愚かですが、ほとんど自発的になれないし、独立心もありません。

もし私たちが動物と同一とみなされれば、キツネのように賢いと思ったり、馬のように強く、フクロウのように賢明であると思ったりしたいのですが、羊飼いを必要としている羊と考えるのは屈辱的です。

良き羊飼いの主よ、
私が疲れきってしまう前にもっと早く私を持ち上げ、私を抱えてくださることを受け入れられるように助けてください。
毎日あなたに頼っていけるように教えてください。
アーメン

God Bless You!!