2025年3月10日(月)の手紙
『しかし、真理を行う者は、その行いが神にあってなされたことが明らかになるように、光の方に来る。』ヨハネの福音書3章21節
まだ電気がないスイスの渓谷に美しい教会があります。
説教壇と演台の隣に、祭壇の回りに、それぞれの座席の端に、ろうそくがない燭台があります。
夕拝が行われるときはいつでもそれぞれの信者や聖職者たちは火が灯ったろうそくを持ってきます。
それぞれの人が教会に入ると、光はどんどん明るくなります。
教会堂がやさしい光に包まれます。
もし、一家族でも欠席すれば、その座席は明かりがないままです。
そして全体の効果が半減します。
それぞれの家族は教会を照らすために自分たちの
光が必要だということを知っています。
すべての人が必要なのです。
最も大きな人間の必要の一つは、必要とされることだということがわかります。
誰かが私をあてにしていることを、どこかで私を必要としていると、私たちは信じなければなりません。
このすべての集合体の近代的な社会において、一人ひとりの重要性を信じることは難しいことがわかります。
しかし私たちは信じなければなりません。
さもなければ懺悔して死ぬのです。
私たちの光は消えます。
キリストにおける回復は「光あれ」という神の宣言です。
キリストにある新しい生活は夜明けに咲く窓辺の植物のようです。
それぞれのしっかりしたつぼみや葉は開き始めます。
全体の植物が命を与える光を吸収するように。
このような開花は回復において何回も何回も起こります。
堅く、抑圧され、気落ちし、寂しく、おびえている人々がリラックスし、キリストにある真理と愛の新しい光に広く開かれ、オープンになります。
お互いに他の人を信頼し頼るときに。
キリストの光について最も素晴らしいことは、私たちすべての人はそれを必要としていること、そしてその光は私たちを必要としていることです。
それが必要なことです。
私たちが光を浴びるとき、反射し、より完全さが増します。
健康の光が輝き始めます。
主なる神様
あなたは私の光です。
あなたは世界の光です。
他の人々と共に持てる光を分かち合うことができますように助けてください。
アーメン
God Bless You!!