2025年12月30日(火)の手紙

『私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。』ヨハネの福音書1章16節


恵みのことをどう考えていましたか。

私が受けた恵みゆえに、過去の絶望や果てしなく続いた悲しみや絶えざる痛みがあったことを思い出します。
この高い力である神はどこにいたのでしょうか。

サムエル・ベケットの劇『ゴドットを待ち望む』の中で、このような過去の日々の絵を見せられます。
ゴドットは誰かを空しく待つ二人の浮浪者の物語を語ります。

ゴドットは明らかに神を象徴した言葉です。
神はゴドットなのです。

劇を通しておのおのの人物は神の到着を待ち続けています。
しかし幕が閉じられます。

私たちは神が来るのを見ることができません。
私たちには神が来ないことがわかっています。
著者はただ誰にも神は来ないだろうと信じているのです。

私たちはよく知っています。
クリスチャンとして、私たちは神の癒しを知っています。

私たちは「恵みに恵みを受けた」のです。

実際、私たちがどのように神を見い出したか、それは恵みを通してなのです。
試みることをやめ、断念し、神に任せています。

待つ必要がないことがわかりました。
神はいつも私たちと共にいたのです。

愛はすでに心に届いていて、心に生きているので、待つことは空しいことだと気づきました。

一年のこの時期にイエスの誕生を再び祝った時に、来たる年のすべてに、新たに再び神が共にいてくださることを祈り、感謝することができます。

ヨハネの言葉を聞きましょう。
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」

私たちはその栄光をみています。

イエス様、
なぜ私たちはあなたを待っているのですか。
あなたは私と共にここにすでにおられるのです。
なぜ私たちはあなたがおられないかのように、あなたを探すのですか。
あなたが共にいてくださることを感謝いたします。
アーメン

God Bless You!!