2025年12月12日(金)の手紙
『わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。』ヨハネの福音書15章5節
少しも愛さないよりも
愛して失ったほうが良い。
テニスンがこれらのよく知られた言葉を書いたとき、愛がどんな結果になろうとも、よかったのだということをはっきりと信じています。
すべての愛には価値があります。
ロングフェローは次のように書いて、テニスンに共鳴しました。
不毛の愛と呼ばないで、
愛は不毛ではないのです。
噴水がまっすぐに送った水は
噴水に再び戻ってくるのです。
偉大なピアニストのパデルスキーが米国を旅していたときに、数人の才能ある子どもたちが彼の前で演奏することになっていました。
一人の少女がきれいに弾きましたが、一つの音符を打ちそこなって、錆ついたベッドのスプリングのような音を出してしまいました。
彼女は泣き始めました。
パデルスキーはすぐに彼女のところにやってきて額にキスしました。
もし彼女が正しく弾いていたら決してもらえなかったキスでした。
大音楽家は彼女のピアノに関心がなかったのではありません。
しかし、もっと愛に敏感でした。
その子どもには、どの人のキスよりもこのような大きな意味あるものはなかったでしょう。
神は偉大な愛の持ち主です。
すべての人間の悲惨と罪の不協和音に彼は無関心でいることはできませんでした。
だから彼の恵み深い愛はとても多くの意味を持つのです。
もし、額のキスが重要ならば、その十字架はどんな愛を与えるのでしょうか。
彼は噴水であり、すべての愛の源です。
何も無駄にされません。
キリスト様、
あなたの愛はすべての愛を継続させます。
私を愛してくださりありがとうございます。
私が私を愛し、他の人も愛せるように助けてください。
アーメン
God Bless You!!