2025年11月10日(月)の手紙

『主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」』ルカの福音書10章41節~42節


かつて、ある店の経営者が臨終で家族に囲まれていました。

彼は弱々しく尋ねました。
「サラはいるか」「ここにいるわ」と彼の妻は答えました。

「ルースはいるか」と彼は尋ねました。
「ええ、お父ちゃん」

「ビルはいるか」
「はい、お父さん」

それからその老人は座り、恐ろしい目をして叫びました。
「それじゃ、誰が店を世話しているんだ」

心配ばかりしていて、心配性のチャンピオンだという人たちがいます。
静かで安全な場所におかれたとしても、まだ心配ごとを見つけるのです。

もし心配せず、それについて思い悩まなければ、その仕事は成就されないのです。
心配は生活を管理したり、どうにかこうにか処理したりするための道具になります。

しかし嗜癖のことになるとコントロールできず、生活を管理することに無力になってしまいます。

ではなぜ心配するのでしょうか?
心配し続けている多くの人にとっては、それは習慣なのです。

習慣はやめられます。
恐怖を起こすような私たちの古い厄介な支配を、平和と力の神の支配の習慣に取り替えることができます。

自分の店を神に心配してもらいます。
今から本当に神に心配してもらうのです。

それは容易くないかもしれません。
私たちはずっと運転することに慣れています。
ハンドルを緩めるのは無謀にみえます。

しかし、神は良い運転手です。
神は上手に運転します。
神に求めれば、神は私たちを穏やかにさえしてくださいます。

主よ、
私の力を緩めてください。
私の恐れを鎮め、あなたにゆだねさせてください。
アーメン

God Bless You!!