2022年9月26日(月)
『ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、……。』マタイの福音書5章23節
「祭壇に来て、兄弟から恨まれていることを思い出したなら」ということであって「病的なほど自分を探ったら」ということではない。
「思い出したなら」というのは、神の御霊が意識に上らせてくださったなら、ということである。
そうしたら、「まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。
それから戻って、そのささげ物を献げなさい」というのである。
あなたのうちにおられる神の御霊の敏感さに反発してはならない。
御霊はあなたを細かな点に至るまで教えてくださっているのである。
「まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。」
私たちの主のご指示は明快である。
「まず仲直りをしなさい」と……。
祭壇で心が責められたことを手がかりとして、来た道を戻るのである。
そして、あなたを恨んでいる人に対して、呼吸と同じくらい自然に和解ができるように、思いと気持ちを整えるのである。
イエスは相手のことに全くふれておられない。
あなたのほうから行け、と言っておられる。
そこにあなたの権利が入り込む余地はない。
聖徒が聖徒であることのしるしは、自分の権利を放棄して、主イエスに従うことができるかどうかにある。
「それから戻って、そのささげ物を献げなさい。」
一連の過程は明瞭に道筋がついている。
最初に、自分の非を認める潔さがあり、次に、繊細な聖霊の働きによって行動が抑制され、自分に落ち度があったと自覚して立ち止まる。
その次に、神のみことばに従順となり、迷惑をかけた相手に対して、責められるところのない態度と心をしっかり持つのである。
すると最後に、神へのささげ物を、あなたは喜ばしく、心置きなく献げることができるようになるのである。
God Bless You!!
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