2022年9月14日(水)
『キリストに対する素直さ……。』コリント人への手紙第二11章3節(英訳)
理屈をこねずに素直であることこそ、物事がはっきり見えるための秘訣である。
聖徒であっても、長い間、明晰に物事を考えられないでいることがある。
しかし、聖徒であるからには、何の苦もなくはっきり見えていなければならない。
霊的な混乱は、どんなに考えても解決しない。
しかし、従えば解決するのである。
知的な事柄なら、考えることで答えが出る。
しかし霊的な事柄となると、考えれば考えるほど、答えは曖昧で、つかみどころのないものとなる。
もし神から迫られていることが何かあるなら、その点に関して神に従うことだ。
「すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させる」のである。
そうすると、すべてが昼の光に照らされたように明らかになる。
論理的に納得できるのはその後のことである。
しかし、論理をどんなに働かせても物事が見えるようにはならない。
私たちは子どものようになってこそ見えるのであって、賢くなろうとすると、かえって何も見えなくなる。
私たちが自分の生活の中で許容しているどんなに些細なことであっても、聖霊のご支配の下にないものは、霊的な混乱を引き起こすに十分である。
それについてどれほど考えたとしても、解決することは決してない。
霊的な混乱を収束させるのは従順のみである。
従うやいなや、私たちに識別力が加わるからである。
これは自尊心が傷つく経験である。
混乱していた原因が実は私たちの心の状態にあったと分かるからである。
しかし、自然に備わったものを見る力を聖霊に献げると、それは神の御旨を悟る能力となり、その結果、生活全体が単純化され矛盾がなくなるのである。
God Bless You!!
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