2022年8月27日(土)

2022年8月27日(土)


『闇があなたがたを襲うことがないように、あなたがたは光があるうちに歩きなさい。』ヨハネの福音書12章35節


せっかく、霊的な高嶺で神とともに過ごしても、その時に見たことに基づいて行動しないとしたら、それほど残念なことはない。
その時に見た光に従わなければ、その光は闇に変わってしまう。

「ですから、もしあなたのうちにある光が闇なら、その闇はどれほどでしょうか」とあるとおりである。

聖化のことにしても、あるいは他のことにしても、せっかく神が光を照らしてくださったのに、それを放棄したり、軽く扱ったりした瞬間から、霊的生活は干からび、腐っていく。

真理が示されたら、それを実際の生活に取り入れ、あらゆる面で実現せよ。
さもないと、あなたが持っている光さえ、のろいとなってしまうであろう。

過去の経験に安住し、それを今の生活に生かそうとしない人ほど扱いにくい人はない。
聖化された、と言うなら、それを示すべきである。
その経験が本物であれば、おのずと生活に現れるはずではある。

自分の好きなようにふるまう「信仰」にはよほど注意をしなければならない。
耳にどれほど心地よく聞こえようとも、その出所は地獄だからである。
あなたの神学がその本領を発揮すべきところは、ごく普通の人間関係においてでなければならない。

「あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません」と主は言われた。

言い換えれば、この人ほど道徳的な人はいない、とあなたが思う人より、あなたの道徳基準のほうが高くなければならないという意味である。

あなたは聖化の教理のすべてに通じているかもしれない。
しかしそれが日常生活のあらゆる事柄に生かされているだろうか。

贖われた者にふさわしく、身体の問題、道徳の問題、また霊的な問題など、生活のあらゆる側面がきよくされたのかどうか、やがてさばかれることになるのである。

God Bless You!!


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