2022年8月19日(金)
『わたしのもとに来なさい。』マタイの福音書11章28節
神は私たちに、キリスト・イエスにある、均整の取れた、欠けのない生き方を意図しておられる。
ところが、そのような生き方は、ときとして外部からの攻撃に遭う。
すると、私たちは内省という、忘れかけていた方法に転落してしまうのである。
自意識こそ、神にあって満たされた生き方を覆す第一の原因であり、自意識は絶えざる葛藤を生み出す。
自意識それ自体は罪ではない。
感性が敏感であったり、いきなり新しい環境に放り込まれたりすると、経験するかもしれない。
しかし、そうであったにせよ、せっかくキリストによって完全にされたのに、私たちがそれよりも低い状態に甘んじているのは、決して神のみこころではない。
キリストにある安息を妨げるものは何であれ、ただちに矯正されなければならない。
それは無視することによってではなく、イエス・キリストのもとに来ることによって矯正される。
私たちが主のもとに来て、自意識ではなくキリスト意識を生み出してください、とキリストに願うなら、キリストの中にとどまることがどういうことかよく分かるまで、必ずそのようにしてくださる。
キリストにあるあなたの生き方を分断する可能性のあるものは、決して自分の中に残すのではなく、対決し、排除しなければならない。
霊的な力があなたから漏れ出ていかないように、また友人や、周囲の環境の影響を受けて、あなたの生き方が分断されないように注意せよ。
あなたとキリストとの一体性を引き裂き、あなたとキリストが別個の存在だと思わせるものすべてに、警戒を怠ってはならない。
霊的に正しい状態を保つことにまさって重要なことはない。
しかし、その素晴らしい秘訣は実に単純である。
「わたしのもとに来なさい」
ただそれだけである。
掛け値なしの私たちの知的、道徳的、霊的な深さは、まさにこのみことばが指標となる。
ところが、私たちが自分の本当の姿を認めないでいると、イエスのもとに行くよりは、せっかく発見した自分についての事実に疑義を呈せずにはいられないのである。
God Bless You!!
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