2022年7月4日(月)

2022年7月4日(月)


『思い悩むな。ただ悪を行うに至るのみだから。』詩篇37篇8節(英訳)


思い悩むというのは、心も霊も混乱した状態のことである。
「思い悩むな」と言われても、そうできない自分に気がつくだけである。

「主の中に憩い、耐え忍んで主を待て」と口で言うのはたやすいが、自分の小さな世界がひっくり返され、他の多くの人と同じく、不安と苦悩を抱えることになっても、同じことが言えるだろうか。

そういう時に、「思い悩むな」と言われることが役に立たないなら、どんな時にも役に立つはずはない。

「思い悩むな」ということばは、平穏な日々においてだけではなく、どうしていいかわからない、混乱の日々にも、役に立つものでなければならない。

そうでなければ、そもそも役立つことなどありえない。
しかも、あなたの具体的な問題に対して役立たないのであれば、だれの問題に対しても役立つことは望めない。

主の中に憩うということは、外部の状況とは無関係であり、あなたと神ご自身との関係に関わることなのだ。

いらいらしたままでいると、結末は決まって罪となる。
少々の心配事や悩み事があるのは、自分が本当は知恵者であることのしるしである、と私たちは考えるが、それはむしろ、私たちが本当はよこしまであることのしるしなのである。

思い悩む根本原因は、自分の思いどおりにしたい、という頑ななまでの決意にある。
私たちの主は、一度たりとも、ああ、どうしたらいいのだろう、と気をもまれたことはない。
それは、主のご目的が、ご自分の計画ではなく、神のご計画を成し遂げることにあったからである。

あなたが神の子どもであるなら、思い悩むことはよこしまなことであると知らなければならない。

自分の現状をどうにかすることなど、神にはできるわけがない、という愚かな考えを、あなたはずっと持ち続けてきたのではないだろうか。

あなたの「見解」や「想像」は脇に置き、全能者の陰に宿ることだ。
自分に関わることで思い悩むことはしません、と心を決めて神に伝えよ。

私たちが焦ったり、心配したりするのは、すべて、神を抜きにして考え、計画した結果なのである。

God Bless You!!


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