2022年7月31日(日)
『その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります。』ヤコブの手紙1章4節
私たちの多くは、全体的には問題がないように見えても、なお不注意で怠慢な面を残したままである。
それは、罪の問題というよりは、私たちを無頓着な者にする肉性の名残である。
このような気の緩みは聖霊に対する侮辱である。
神を礼拝することにおいて、また食べること、飲むことにおいてさえも、いい加減な点が少しもあってはならない。
神との関係のみならず、神との関係が外にどのように現れるかという点においても正しくなければならない。
結局のところ、神の目を逃れうるものは何一つなく、私たちの生活のあらゆる細部までが神の精査のもとにあるからだ。
神は数えきれないほどの方法を用いて、私たちを繰り返し同じ場所に引き戻される。
私たちが教訓を学び取るまで、倦むことなく同じ場所に戻される。
神には、私たちを「完成品」とする目的があるからである。
私たちの衝動的な性質が問題の発端になっているかもしれない。
しかし、それでも繰り返し、繰り返し、限りない忍耐をもって、神はその問題に私たちを連れ戻される。
あるいは、問題が、空想にふけるという現実逃避であったり、神に頼ろうとしない私たちの性質や自己利益であったりするかもしれない。
このような過程を通して、神は私たちの生活で不正常な箇所を印象づけようとしておられるのである。
私たちは今まで、神の贖いという、啓示された真理について学んできた。
その結果、私たちの心は、神に対してまっすぐに向けられている。
神が私たちの内になされた素晴らしいみわざのおかげで、全体的には神との関係が正しいものとなったことを私たちは知っている。
そして今、御霊はヤコブの手紙を通して、「あなたがたの忍耐を〈完成品〉としなさい」と語っておられる。
生活上の細かな場面で手を抜き、「さしあたり、このくらいで十分だろう」と言うようであってはならない。
問題が何であれ、私たちが完全に主のものとなるまで、神は粘り強くその点を示し続けられることを忘れてはならない。
God Bless You!!
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