2022年7月27日(水)
『だれでも神のみこころを行おうとするなら、その人には、この教えが……分かります。』ヨハネの福音書7章17節
霊的な理解を得るための鉄則は、知的能力にではなく、神に従うことにある。
科学的な知識を得たいなら、知的好奇心が案内役になってくれる。
しかし、イエス・キリストの教えの真髄が知りたいなら、服従する以外に、それを手に入れる方法はない。
もし霊的なことに関して目が曇り、判断がつかないとしたら、頑なに従わないでいる何かが私に潜んでいるのは、まず間違いない。
知的な不理解は無知に原因があるが、霊的な不理解の原因は、神に従う気がないことにある。
神からみことばを受けておきながら、それが本当にわかったかどうか、すぐに試されない人は一人もいない。
私たちは従わないでおきながら、なぜ自分は霊的に成長しないのだろう、といぶかる。
「祭壇のところに来て、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、それ以上祈るのはやめ、まず兄弟のところへ行き、仲直りをしなさい」とイエスは言われた。
イエスの教えは、私たちの認識を直撃する。
イエスの前では、一瞬たりとも善人のふりをすることはできない。
イエスは、私たちが良心の咎めを感じるまで、教え続けるのである。
神の御霊は私たちの自己弁護を明るみに出し、今まで気にしていなかった事柄に対して私たちを敏感にされる。
イエスがみことばによって核心を突いてこられても、そこから逃げてはいけない。
逃げるなら、あなたは宗教の衣を着た詐欺師となる。
自分にできるわけがないとあなたが拒否することは、どんなことなのかよく観察してみよ。
そうすれば、なぜあなたの霊的な成長がはかばかしくないのか、その理由が分かるはずである。
たとえ狂信的だと思われようとも、神が言われるとおり、まず自分から行くことだ。
God Bless You!!
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