2022年6月8日(水)

2022年6月8日(水)


『これらのことが分かっているなら、そして、それを行うなら、あなたがたは幸いです。』ヨハネの福音書13章17節


《他の人より多くを知ろうと決意すること》
あなたをつなぎとめる綱を自分で断ち切らないなら、神は嵐を起こしてでもその綱を断ち切り、あなたを海上へと送り出さなければならなくなる。

あなたの人生に関わるあらゆるものを神に任せ、神のみこころという大きな潮の流れに乗って海に出よ。
そうすれば、あなたの目に、今まで見えなかったものが見えてくる。

あなたがイエスを信じているなら、防波堤に囲まれた穏やかな海上でいつまでも過ごしているわけにはいかない。
どれほど楽しかろうと、現状は波止場につなぎとめられたままなのである。

あなたは港を出て、神の深みにまで乗り出し、自分で直接知るべきことがある。
すなわち、霊的に物事を判別できるようにならなければならないのである。

自分が何をすべきかが分かり、実際にそれを実行してみると、あなたはたちどころに、それまでより多くのことを知る人となっている。

自分がどこで霊的な関心を失い始めたか丁寧に思い返してみよ。
すると、発端は、自分がすべきだと分かっていたことを行わなかったことにある、と分かるはずである。

なぜ行わなかったか。
それほど大事で、緊急性があるとは思えなかったからである。

しかし何もしなかった結果、今のあなたには洞察力も識別力もない。
しかも、危機が訪れても、霊的に考えがまとまらず、落ち着きがない。

今よりもっと多くのことを知り、学んでいかなければならないのに、それを拒否するのは、危険極まりないことなのである。

一見、従順に見えるがそうでないものがある。
自分の都合に合わせて、自己犠牲的にふるまおうとする心である。
熱心さを霊的識別力と取り違えているのである。

ローマ人への手紙記12章1節、2節に書かれているような、クリスチャンとしての義務を全うするより、自分を犠牲にするほうが容易である。

神のみこころをしっかり見極めて、それを果たしていくほうが、自己犠牲という立派な行為よりはるかにまさっている。

「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、……」とあるとおりである。

過去のあなたとは違うあなたになってほしいと神が願っておられるのに、かつて自分がいた場所に戻ることがないように十分気をつけなければならない。

「だれでも神のみこころを行おうとするなら、その人には、……分かります」。

God Bless You!!


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