2022年6月27日(月)

2022年6月27日(月)


『わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。——主のことば。』エレミヤ書1章8節


神は自らの手でエレミヤを救い出す、とエレミヤに約束し、「あなたのいのちは戦勝品としてあなたのものになる」と仰せられた。

神は、神の子どもたちにもそれと全く同じ約束をしておられる。
神は私たちをどこに遣わされようとも、私たちのいのちを守ってくださる。

ゆえに、私たち個人の財産や所有物は些細な事柄と考えるべきである。
固執してはいけない。
そうでないと、慌てたり、悲嘆にくれたり、苦悩を抱えたりすることになる。

神が自ら私たちを救い出してくださるという約束をしっかり握っていれば、私たちの内面は波立たないですむのである。

私たちがイエス・キリストから使命を託されているなら、もはや自分で自分の権利を守っている暇などない、ということを山上の説教は示唆している。

イエスが言われることを煎じ詰めれば、「自分が正当な扱いを受けているかどうかで悩んではいけない」ということである。

公正さを求めるという態度そのものが、すでにイエスに対する献身から逸れているしるしなのである。
あなた自身はいつも公正であれ。

しかしこの世に公正さを期待してはいけない。
もし公正な扱いを期待すれば、私たちはたちまち不平をこぼし、自己憐閥に陥り、「なぜ私がこのような扱いを受けなければならないのか」と言うだけである。

もし私たちがイエス・キリストに心から献身しているなら、正しいことや不当なこと、そのほかどんなことに遭遇しようとも、それに影響を被ることはない。

イエスは言われる。
「わたしがあなたに命じたことを着実に行い続けよ。
そうすればわたしがあなたを守る。
自分で自分を守ろうとすると、かえって救出が遠のくだけだ」と。

この点に関して言えば、際立って敬慶な人ですら、無神論的な考え方をしている。
私たちは神が言っておられることを信じないで、常識を王座にまつりあげ、そこに神の御名を張りつける。

私たちが、心を尽くして神に拠り頼むことをせず、自分の悟りに頼っていることは否定のしようがない。

God Bless You!!


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