2022年5月30日(月)

2022年5月30日(月)


『主よ、あなたに従います。ただ、……」ルカの福音書9章61節


仮に、神があなたの常識を根底から揺さぶるようなことを命じて、あなたを試されたらどうするか。
尻込みするのだろうか。

あなたが何かの習慣的行動にはまってしまったら、純然たる意志をもってそれを断ち切らないかぎり、試されるたびに同じことを繰り返すだけである。

実は同じことが霊的な面でも言える。
あなたは何度もイエスが望んでおられるようにする手前まで来た。
ところが肝心なところで引き返してしまった。
それは決然と自分を主に任せないかぎり、いつまでも続く。

「はい、わかりました。しかし、この件で神に従ったとしても、そのほかについては……」
「はい、神に従います。ただし、私の常識で判断させてください。
また、未知の世界に飛び込め、と命じないでください」と私たちは言わずにはいられないのである。

イエス・キリストはご自身を信じた者たちに、生まれながらの人に見られるような、なりふり構わぬ冒険心を発揮せよ、と要求される。

もし何か価値のあることをしたいと思うなら、未知の領域に飛び込んで、一切をなげうつ覚悟をすべき時がある。
イエス・キリストは霊的な領域において、あなたが常識を頼りに信じ、しがみついてきたすべてのものを失う覚悟で、ご自身のことばに飛び込め、信仰によって、と求めておられる。

ひとたびそれに従ってみると、主が言われたことは、常識と変わらないほど、確かで一貫しているこに気がつくのである。

常識を基準とすれば、イエス・キリストが述べたことは常軌を逸していると思えるかもしれない。
ところが、信仰を基準とすると、それらがまさしく神のおことばであることに、畏怖の念とともに気づくようになる。

神に全幅の信頼を置くことだ。
そして神が冒険の機会をもうけてくださったなら、それをつかむのだ。

危機が迫ると、私たちは神を知らない人のようにふるまってしまう。
大勢の群衆がいようとも、神を信頼して勇敢に信仰を働かせるのは、一人いるかいないかである。

God Bless You!!


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