2022年5月25日(水)
『あなたが左なら、私は右に行こう。あなたが右なら、私は左に行こう。』創世記13章9節
神への信仰をもって生活を始めるやいなや、魅力的で、豊かな生活の見通しが目の前に開けていく場合がある。
それを手に入れるのは、あなたの当然の権利である。
しかし、もしあなたが信仰による生活をしているなら、そのような権利を放棄し、あとは神にゆだねるという権利を用いるはずである。
あなたが信仰によって歩んでいないと、はたして自分の幸福を優先することが正しく適切なことなのかを考えるように、神があなたを試される場合がある。
しかし、もし信仰によって歩んでいるなら、あなたは喜んで自分の権利を放棄し、神の選択に任せることだろう。
これは、神の御声に従うという手段によって、私たちの生来の性質が霊的なものに変えられるための訓練である。
人生を導く指針が権利となった途端、霊的な洞察力は鈍くなる。
神に信仰をもって生きるうえでの最大の敵は罪ではない。
不十分な善である。
善とは常に、最善の敵なのである。
まずアブラムが選ぶのは、だれが何と言おうと、最も賢明なことのように思えた。
それはアブラムの権利であったし、もしアブラムが先に選ばないなら、周囲の人々から「何と愚かな人か」と思われても当然であった。
私たちの多くが霊的に成長しないのは、神を信頼して選択をゆだねることをせず、自分の選択を優先するからである。
私たちは、神に焦点が定まった基準にしたがって歩むことを学ばなければならない。
そして神はアブラムに語ったように、私たちにも仰せられる。
「あなたはわたしの前に歩め」と。
God Bless You!!
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