2022年5月23日(月)
『何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。』マタイの福音書6章25節
弟子が、一般の人と同じように自分の生活を気遣うことを、イエスは不信仰の中に含まれた。
私たちが神の御霊を受けると、御霊は私たちにこう問いかけられる。
「この人間関係や、あなたが計画した休暇、あなたが読みたい新刊書のどこに、神をお迎えするのだろう」と。
その問いかけは、私たちが神ご自身を最優先にするまでやむことはない。
そして神以外のものを優先すると、混乱が起きてしまう。
「自分のいのちのことで心配したりするのはやめなさい。」
これからどうやって生きていけばよいのか、と思い悩む重圧を自分で負ってはならない。
心配すること自体が間違いであるだけではなく、それが不信仰でもあるからである。
心配するのは、私たちの実際生活の細部まで神が面倒を見てくださるとは信じていないからであり、まさにそのような小さな事柄が私たちの心配のもととなるからである。
私たちの中に蒔かれたみことばの成長を妨げるものは何であるとイエスは言われたか。
悪魔か。
そうではなく、「この世の思い煩い」である。
問題は常に私たちの小さな心配事なのである。
「目に見えないものは信用しない」と私たちは言う。
まさにそこから不信仰が始まるのである。
不信仰を治すには、御霊に従順になること以外にない。
イエスが弟子たちに語られた最も大切なおことばは「自分を捨てる」、つまり神に一切をお任せするということではなかったか。
God Bless You!!
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