2022年5月19日(木)

2022年5月19日(木)


『だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。」ローマ人への手紙8章35節


神は、人に困難を免除してはおられない。
しかし「わたしは苦しみのときに彼とともにいる」と神は言われる。

実際の困難がどれほど厳しい形で人に襲いかかろうとも、神との関係から引き離すことのできるものは何一つない。

「しかし、これらすべての中にあって、私たちは勝利者以上の勝利者」なのである。

パウロは想像上の事柄について言っているのではなく、厳しい現実そのものについて言っているのである。
パウロは、その真っただ中において私たちが「圧倒的な勝利者」である、と言う。

それは、私たちの創意工夫や勇気、またその他のものにもよらず、イエス・キリストにある私たちと神との関係に影響を及ぼすものは何もない、という事実によるものである。

事の是非はさておき、私たちは今の立場におり、今の状況の中にいる。
自分が望まないことは何一つ自分に起きてはいない、というクリスチャンがいたら、私はむしろ気の毒に思う。

「苦難ですか……。」

苦難は決して崇高なものでもなければ歓迎すべきものでもない。
しかし、それが極度の疲労、苛立ち、失意など、どのようなものであったにしても、「私たちをキリストの愛から引き離すことはできない」のである。

苦難や「この世の思い煩い」によって、神があなたを愛しておられるという事実を忘れるようなことがあってはならない。

「苦悩ですか……。」

たとえ、私たちの周りにいるだれもが、またあらゆるものが、「神が愛である、というのは嘘だ」「正義はこの世に存在しない」と言い続けたとしても、神の愛はあなたにとって不動だろうか。

「飢えですか……。」

たとえ私たちがきょう食べるものに困っていても、神の愛を信じるだけでなく、「圧倒的な勝利者」でいることができるだろうか。

イエス・キリストは詐欺師で、パウロは欺かれていたのか、それとも、神の本質への疑念が圧倒的であっても、神の愛を疑わずに信じる人には常識を超えたことが起きるのか、答えは二つに一つである。

そのようなことが一つでも起きるたびに、人間の論理は沈黙せざるを得ない。
それを説明できるものは、キリスト・イエスにある神の愛だけである。

だから、どんなに打ちのめされても立ち上がることができるのである。

God Bless You!!


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