2022年5月12日(木)
『これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、……あなたがたが役に立たない者とか実を結ばない者になることはありません。』ペテロの手紙第二1章8節
クリスチャンとしての新しい習慣が形成されていくと、私たちはそれを意識する。
徳や忍耐、敬虔さが自分に備わっていくのを意識することもある。
しかし、それは一つの段階にすぎない。
そこにとどまってしまうと、私たちは鼻持ちならない人間になるだけである。
新しい習慣に対処するための正しい方法は、それが自然な形で現れ、もはや習慣としての意識がなくなるまで、主のいのちの中にお返しすることである。
私たちの霊的ないのちは、常に変じて内省となる。
まだ加わっていない資質があるからである。
究極的に、霊的ないのちと内省とは完全に一つとなっていくべきものである。
クリスチャンとしての小さな習慣があなたにとって偶像になる場合があるかもしれない。
たとえば、特定の時間に祈る習慣、聖書を読む習慣などである。
習慣が象徴するものではなく、習慣そのものを崇拝するようになると、御父があなたの予定を狂わせることを経験することになる。
「今、それをすることはできません。
私は祈っている最中です。
この時間は神と過ごす大切な時間です」と私たちは言う。
それは違う。
あなたは自分の習慣と時間を過ごしているだけである。
あなたにはまだ欠けた資質がある。
それを突きとめ、その資質が自分に加えられるように、機会を求め続けよ。
愛とは、習慣を超えたところにある。
つまり、あなたの習慣が姿を消すと、無意識のうちに愛が実践されているのである。
ところが、自分の聖さを意識しているところでは、自分にはできそうもないことや、複雑な人間関係ができてしまう。
これは、あなたに加えられるべき資質が何かあることを示している。
超自然的な生涯とは、主イエスのご生涯をおいてほかにない。
主はどこにおいても、神と親しい関係の中にあった。
あなたが神と親しくなっていない領域はないだろうか。
あなたが成長を遂げるまで、その特別な状況に神に十分関わっていただくことだ。
そうすると、あなたの人生は子どものようにごまかしのないものとなる。
God Bless You!!
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