2022年4月22日(金)

2022年4月22日(金)


『私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ……。』コリント人への手紙第二3章18節


神のしもべは、自分がひとりであることを全く感じないほどに、自立していなければならない。

クリスチャン生活が始まって程なく、私たちにとって光のような存在だった人のいのちの火が消え、私たちをいつも励ましてくれた人々が世を去る、という失意を経験する。

しかし、私たちは自分がひとりであると全く感じなくなるまで、それに慣れていかなければならない。

「みな私を見捨ててしまいました。
……しかし、主は私とともに立ち、私に力を与えてくださいました」とパウロは言っている。

私たちは消えゆく光にではなく、決して消えることのない光の上に信仰を築かなければならない。
頼みに思う人がいなくなるのは残念であるが、いつかはそういう時が来ることになっていたのである。

私たちに残されている道は一つしかない。
それは、自分自身が神の御顔をしっかり見つめることである。

自分自身や自分の信じる教理に関して、神の御顔をしっかり見つめることができなくなるような妨げが一つもあってはならない。
そして、毎回、聖書を説くたびに、まずその内容について神の御顔を仰ぐことだ。

そうすれば、神の栄光がいつまでも残る。
クリスチャンの働き人とは、いつも神の御顔を見つめてから人々に語る人のことである。
キリストに仕える働きの特徴は、本人が気づかない栄光が残り続けることである。

「モーセは、主と話したために自分の顔の肌が輝きを放っているのを知らなかった」

私たちは決して、神に対する疑念を仰々しく語ったり、神にあって密やかな恍惚の体験をしたことをひけらかしたりするために召されてはいない。

神のしもべとしての人生の秘訣は、絶えず神と呼吸を合わせるところにあるのである。

God Bless You!!


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