2022年4月17日(日)

2022年4月17日(日)


『シモン・ペテロは「主だ」と聞くと、裸に近かったので上着をまとい、湖に飛び込んだ。』ヨハネの福音書21章7節


あなたは今までの人生の中で、意図的に、本気で、無謀と言われるほどに、すべてを投げ出すという危機を通ったことがあるだろうか。
これは意志に対する危機である。

外面的にはそのように見える危機に立ち至ることはあるかもしれないが、そこに大した意味はない。
自己放棄という、本当の意味での深い危機は、外面ではなく、内面で経験するものだからである。

むしろ外面的にいろいろなものを放棄することは、完全に何かの虜になっていることを示唆しているかもしれない。

あなたは自分の意志を、意図的にイエス・キリストにおゆだねしただろうか。
これは、感情による「取引」ではなく、意志による「取引」である。

感情はその「取引」を飾る、美しい額縁にすぎない。
感情を優先して神との「取引」が成立することは決してない。

「取引」の内容がどのようなものか、神に尋ねてはいけない。
ただ浅い外面的なことであろうと、深い内面的なことであろうと、自分の意志を神に明け渡す「取引」を成立させることが大切である。

大波を越えてイエス・キリストの御声が聞こえてきたなら、なりふり構わず湖に飛び込んだペテロのように自分とイエスとの関係を保つことだ。

自分の「確信」や「言行一致」はどうなのか、ペテロの場合もそうであったように心配する必要はどこにもない。

God Bless You!!


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