2022年4月13日(水)

2022年4月13日(水)


『あなたの重荷を主にゆだねよ。』詩篇55篇22節


私たちは、負うべき重荷と、負ってはならない重荷を区別しなければならない。

罪や疑いという重荷は決して負ってはならないが、神が私たちに負わせられた重荷の中には、神が一向に取り除いてくださらないものがある。

そのような重荷を一旦わたしに戻せ、と神は求めておられる。
直訳すれば、神が与えられた重荷を「主に向かって押し返せ」というのである。

神に仕えようと主の働きに着手してはみたものの、主との交わりが途切れると、自分の責任は途方もなく大きく感じられ、敗北感に打ちのめされる。

しかし、神が私たちに負わせられた重荷を、神に一旦戻しさえすれば、神がその途方もない責任の重さから解放し、それに代えて主とそのご臨在に気づかせてくださるのである。

意気揚々と、また正しい動機で神に仕える働きを始める人は少なくない。
しかし、イエス・キリストとの親密な交わりがないと、程なく自滅してしまうのである。

このような人々は、自分の重荷にどう対処したらよいか分からないため、疲労感がたまっていく。
それを見て人々は言うのである。
「あれほど素晴らしい始まりだったのに、なんと残念な終わり方か」と。

「あなたの重荷を主にゆだねよ」

あなたは今まで、ひとりで重荷のすべてを担ってきた。
しかし、その重荷の一方を、意識しながら神の肩に載せてみよ。

「主権はその肩にあり……」

神があなたの上に置かれた重荷が何であれ、それを神にゆだねることである。
重荷をかなぐり捨てるのではなく、神にその重荷と自分自身をゆだねるのである。

そうするなら、自分には主がついておられることが分かり、重荷が軽くなる。
しかし、その重荷に対する自分の責任まで投げ出してはならない。

God Bless You!!


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