2022年3月8日(火)
『私はキリストとともに十字架につけられました。』ガラテヤ人への手紙2章19節
罪を捨てるだけではなく、物事の見方のすべてを捨てる覚悟なくしては、だれ一人イエス・キリストと結び合わされることはない。
神の御霊によって新しく生まれるとは、何かを得るためには手放さなければならないものがある、という意味である。
まずは、見せかけや欺きを手放さなければならない。
主が私たちに差し出すように求めておられるのは、私たちの美点でも、正直さでも、努力でもなく、罪そのものである。
主が私たちから取り去ることのできるものはそれだけである。
それでは、私たちの罪と引き換えに主は何を与えてくださるのだろうか。
義そのものである。
しかし、自分が神に顧みられるにふさわしいと見せかけようという考えはいっさい捨てなければならない。
次に、神の御霊は私たちに、さらに捨てるべきものを示される。
どの段階においても、自分の権利に対する主張を捨てていくのである。
所有物のすべてに対するこだわり、自分の好きなものに対するこだわり、その他あらゆることに対するこだわりを捨てて、イエス・キリストの死と一体化される心の用意があるだろうか。
実際に捨て去る前には、痛切な幻滅感が常に伴う。
主がご覧になる目で自分を見て唖然とするのは、厭わしいしい肉の罪ではなく、イエス・キリストに逆らう自分の心、という恐るべき高慢の性質だからである。
主の光に照らされて自分を眺めるなら、恥と戦慄、そして罪の自覚に襲われるほかはない。
捨てるべきかどうか、という問題に直面しているのであれば、この危機を通る決意をし、すべてを捨て去ることだ。
そうすれば、神があなたを整えてくださるはずである。
God Bless You!!
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