2022年3月27日(日)
『ここに上れ。この後必ず起こることを、あなたに示そう。』ヨハネの黙示録4章1節
高められた精神は、新生による新しい人格が高みにとどまることなしには生まれない。
外面的に、あなたが最善を尽くして生活したとしても、神は絶えず、「友よ、もっと高くまで上るのだ」と言われる。
誘惑を受けた場合の鉄則は「もっと高くまで上る」ことである。
しかし、高く上れば上ったなりに、異なる誘惑と特徴に直面することになる。
サタンも、高く上れ、という戦法を用いる。
神も同様にそうされる。
しかし、その効果は全く異なる。
悪魔があなたを高みに引き上げた場合、聖潔に対するあなたの考えを、血肉のからだを持つ人間には決して到達できないものに固定してしまう。
それは一種の霊的な曲芸のようなもので、静止を余儀なくされ、身動きがとれないものとなる。
しかし、神がその恵みによって天の高みにあなたを引き上げてくださる場合には、尖塔の突先を見つけて、しがみつく必要はない。
のびやかに動ける広々とした高原が広がっているからである。
あなたの霊的生活が、今週と昨年の同じ週でどう違うかを比べ、神が高みに引き上げてくださったことを確かめてみるとよい。
私たちはみな、以前より高い地点から眺めることができるように導かれている。
すぐに到達できないような真理を示してください、と神に願ってはいけない。
むしろ、その真理の光にとどまり、常に少しずつ実践していくことである。
恵みによる成長を測るのは、信仰的に後退しなかったという事実ではなく、自分が今、霊的にどこにいるかが分かる、という洞察力である。
あなたは「もっと高くにまで上れ」という神の声を聞いた。
それは耳を通して、というより、あなたの人格の洞察力を通してである。
「わたしは、自分がしょうとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか」と主は言われた。
私たちの人格が神からの啓示を受けられる段階に達するまでは、神はご自身がなそうとしておられることを私たちの目から隠しておかなければならないのである。
God Bless You!!
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