2022年3月18日(金)

2022年3月18日(金)


『神を恐れつつ聖さを全うしようではありませんか。』コリント人への手紙第二7章1節


「このような約束を与えられているのですから…。」

私は、神の約束がそのとおり実現することを求める。
それは正当なことである。

しかし、それは人間から見た場合の言い分にすぎない。
神の視点から見るならば、その約束を通して、私に対する神の所有権を認めるということにほかならない。

たとえば、私は自分のからだが聖霊の宮であると認識しているだろうか。
あるいは、自分のからだの中に、明らかに神の光に耐えられない習慣があるのを容認していないだろうか。

神は聖化の過程を通して、御子を私のうちに形造って私を罪から切り離し、私をご自身の目に聖なる者とされた。
しかし、神に従って、生来の生き方を霊的な生き方に変えていくのは私の責任である。

神は、生活のこまやかな点に至るまで私たちを指南される。
神があなたに罪の自覚をもたらされたら、「血肉に相談する」のではなく、ただちにその罪と袂を分かたなければならない。

日々の歩みにおいて、自分を常に清められた状態に保つのだ。
私は、自分の霊肉がともに神のご性質に合致するまで、霊肉のあらゆる汚れから自分を清めていかなければならない。

私の精神や知性は、私のうちにある神の御子のいのちと完全に調和しているだろうか。
それとも、私は精神や知性において反抗的で、素直でないということはないだろうか。
私はキリストの心を心としているだろうか。

一度たりともご自分の権利を主張せず、常にご自身の霊を御父に従わせられたキリストの心である。
私には、自分の霊を御霊に調和させていく責任もある。
そうするなら、イエスは徐々に、ご自身の生き方に私を引き上げてくださる。

御父のみこころにご自分を完全に聖別し、そのほかは何も気にしないという生き方である。
私は、神を恐れつつ、このような聖潔を完成しつつあるだろうか。

神は私を思いのままに用いることができているのだろうか。
そして人々は、私の中に神がおられることが次第に分かるようになってきているだろうか。

本気で神に向き合うのだ。
それ以外のことは気にせず放っておけばよい。
大切なのは、神を、文字どおり、生活の中で最優先することなのである。

God Bless You!!


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