2022年1月21日(金)

2022年1月21日(金)


『主はこう言われる。わたしは、あなたの若いころの真実の愛……を覚えている。』エレミヤ書2章2節


かつてのように今も私は神をごく自然に愛しているだろうか。
それとも、私は単に神からの愛を期待しているだけだろうか。

私の生活は、神をお喜ばせする小さな出来事でいっぱいだろうか。
それとも物事がうまくいかないので泣き言を言っているだけだろうか。
神が何を尊ばれるか忘れてしまった人のたましいには、何の喜びもない。

イエス・キリストが私を必要として「わたしに水を飲ませてください」と言われたことを思い出すのは素晴らしいことであるが、この一週間、私はキリストにどれだけの親切を示してきただろうか。
私の生活は神の栄誉にふさわしいものであっただろうか。

神は御民に、「あなたがたは今ではかつてのようにわたしを愛さなくなってしまったが、わたしを愛していたときのことをわたしは覚えている」と言われる。

イエス・キリストへの献身を示すためなら苦労もいとわなかった初めのころと同じように、今も主への愛が私にあふれているだろうか。

主以外のことには目もくれなかったころを思い出している私に、主は気づいてくださっただろうか。
それが今の私の姿だろうか。
それとも、主を心から愛することより、人間の知恵のほうが大切になってしまっただろうか。

主を愛するゆえに、主がどこへ自分を導かれても、構わない、という覚悟が今もあるだろうか。
それとも、どの程度の奉仕をすれば、どれくらいの尊敬が得られるか、と計算しているのだろうか。

神が私をどう思ってくださっていたかを知り、神が私にとって以前ほど大切な存在ではなくなってしまっていたことに気づいたなら、その恥と不名誉をそのまま受け入れることである。

なぜなら、「神のみこころに添った悲しみは、……悔い改めを生じさせる」からである。

God Bless You!!


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