2022年1月2日(日)

2022年1月2日(日)


『アブラハムは……どこに行くのかを知らずに出て行きました。』ヘブル人への手紙11章8節


このように「出て行った」経験があなたにあるだろうか。
もしあるなら、「あなたは何をするつもりか」とだれかに問われて、論理的に答えるのは不可能である。

クリスチャンとしての奉仕において、「あなたはどんなことをするつもりか」という問いは、最も答えに窮するものの一つである。
自分でも何をしようとしているのか分からないからである。

分かっているのは、神はご自身が何をなそうとしているかをご存じであるということだけである。

神に全幅の信頼を寄せながらも、自分が生活の全領域において「出て行く」ことをよしとしているか、絶えず吟味をしなければならない。

このような姿勢があってこそ、あなたは驚きの連続を経験する。
神が次に何をなそうとしておられるか、あなたには分からないからである。
毎朝目を覚ますたびに、「出て行く」新しい機会が待っていて、神に対するあなたの信頼は徐々に深まっていく。

「いのちのことで心配したり、……からだのことで心配したりするのはやめなさい」

言い換えれば、あなたが実際に「出て行く」経験をする以前の心配は、杞憂ということである。

「何をなさるおつもりですか」と、神に尋ねてやまなかった経験があるだろうか。
神は決してそれを教えてはくださらない。
神があなたに明らかにしてくださるのは、ご自身がどういう御方かということだけである。

あなたは奇跡を起こされる神を信じ、ついには神がなさることに少しも驚くことがないほど、神に一切を任せて「出て行く」用意があるだろうか。

これほど神に近づいたことはない、とあなたが悟ったときの御方が神であるとするなら、心配そのものがどれほど神に対して失礼であることだろう。

人生に対するあなたの姿勢が、常に神に頼って「出て行く」ものであるように。
そうすれば、あなたの生活に、ことばに表現できない魅力が生まれ、それがイエスに深い満足をもたらすものとなる。

あなたは自分の信仰に関し、確信、信仰信条、あるいは経験からさえも「出て行く」ことを学ばなければならない。
ついには、あなた自身と神との間に一切の隔たりがなくなるためである。

God Bless You!!


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