2021年9月26日(日)
『自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。』ペテロの手紙第一5章7節
「みなが互に謙遜を身につけなさい」と書いてあるが、謙遜とは「神の力強い御手のもとに、みずからを低くしなさい」ということである。
「時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。
神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい」。
だから謙遜ということのためには、二つのことが必要だと思う。
一つは神の力強い御手のもとに自分があるということ。
そういう生ける神を信じないなら、神の前に謙遜になり、神にゆだねていくことはできない。
もう一つは、神が私を顧みていてくださるということである。
神が私を愛してくださるというところにほんとうの安心があると思う。
「あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう」。
私たちはいろいろな苦しみを経験しても、私たちをいやし、強め、力づけ、不動の者にしてくださる神を信じて生きていくのである。
ペテロはたびたび「栄光にあずかる者」という言い方を繰り返しているが、私たちは栄光にあずかる者とされていくのではなくて、栄光にあずかる者にされているという点から、もう一度現実の問題を省みなさいと言っている。
棺桶の中からのぞいた人生がほんとうの人生だとよく言われるが、死んでしまったところから人生を考えてみると、価値の判断が変わってくる。
そのように、私たちが栄光にあずかるという世界から、現実の問題を考えていくとき、自分は恵み深い神によって強くされていこうと、現実を忍耐強く受け止めることができるのだ。
私たちはすでに救われ、その恵みの中に招き入れられ、やがてきたるべき栄光の時に、それにあずかる者とされているというところから現実を見ていくときに、日常の生活も変わってくるのではないかと思う。
それゆえペテロも、迫害の中にあってもなお、望みを持って強く信仰に生きていきなさいとすすめているのである。
永遠の救いのご計画の中に私たちを入れてくださった神に深い信頼を持って、いっさいの思いわずらいをゆだねていくという、伸びやかな信仰生活を送りたいと思う。
God Bless You!!
a:28 t:1 y:0