2021年8月4日(水)
『主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。』エペソ人への手紙6章10節
「最後に言う。
主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい」。
私たちはキリストの生き方をまねて自分の力を磨くのでもなく、眠っている自分の力を発見するのでもない。
また、私たちは時々進退きわまって何もできないほどに失望してしまうことがあるが、そこに神の力が注がれたときには、自分でも驚くぐらいの力を持つことができる。
神の大能の力によって強くなっていくのであって、自分の力を磨くというような小さなものではない。
すべての聖徒のために祈りつづけなさい」。
私たちは人にいろいろなことをしてあげることはできないが、人のために祈ることはできる。
これはだれでもできることのようであって、なかなかそうはいかない。
しかし神は私たちに、人のために祈れと言っておられる。
しかも祈り続けよと命じられるのだ。
私たちはアシュラムの友に毎日一枚ずつハガキを出しているが、それがどんなにおおぜいの人たちを力づけていることか。
ある人は、今治の早天祈藤会で祈ってもらったという通知で、どんなに励まされたかしれないと言ってきた。
そのとき、同時に私たちも祈られている存在であるという確かな確信を得ることができた。
アシュラムの祈りとは、まさに祈り続け、祈り続けられるものなのである。
そしてそこに、そのような私たち一人一人のために、祈っていてくださる神の存在を見るのである。
私たちはまことに小さな群れではあるが、その小さな群れが神のご用をしているということはなんとすばらしいことであろうか。
だから私たちは、常に人のために祈っていかなければならない。
そこには、神によるとりなしの祈りがある。
私たちにはだいいちそんな信仰もなく、とりなすことなどできるはずがない。
それでも、人々のために愛の心を持って祈り、神の前に備えていくとき、神はその祈りをとりなしの祈りとして用いてくださるのである。
God Bless You!!
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