2021年8月2日(月)の手紙

2021年8月2日(月)


『聖重による一致を守り続けるように努めなさい。』エペソ人への手紙4章3節


「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。
それによって、わたしたちは愛ということを知った。
それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである」と使徒ヨハネは語っているが、主が私たちのために命を捨ててくださったことが、単なる一つの知識であったなら、それによって愛を知ったというのも一つの知識になる。

さらに、兄弟を愛すべきであるということもまた知識になってしまう。
そうなるとキリスト者の具体的な生活はから回りして、宙に浮いたものになる。

そういう面があるのだから、私たちはあくまでも内なる私を強くされていくことが大事である。
そういう意味で私たちは、キリストの十字架や、パウロが奥義と言っている神秘的な経験を現代的なものにしなければならない。

「御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように」とか、「キリストがあなたがたの心のうちに住み」との言葉が第3章の終わりにある。

内に住むとは、そのところで生き生きと生きることであり、人間の思考ではなく、まさに時間や距離を超えさせる御霊の働きが必要になってくるのである。

今日のキリスト教には、そういう神秘的なことを言うのは反理性的であるとして、それをあまり言わない傾向がある。
そしてただ、キリスト者はこうでなければならないという倫理的、道徳的な面ばかりが表に出てくる。
だから福音を語りながら、律法が支配する世界があらわれてくるのだ。

私たちの信仰は、なんとしても御霊によって、内なる人が強くされていかなければならない。

「聖霊による一致を守り続けるように努めなさい」。

互いに譲り合って、自分の主義主張をいいかげんにし、どこかで一致していくのがこの世である。
しかしそのような一致はしばしば分裂していく。
一致を守る道は、キリストによって生かされることである。

あなたも、また私も神によってゆるされた、生かされた、神の前ではこうであるということにおいて、言い換えれば、神だけが大きくなって自分が小さくなることで、自然に一致が生まれる。
それが御霊による一致である。

「からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。
主は一つ、信仰は一つ、パプテスマは一つ。
すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである」。

パウロは、神が大きくなることにおいてはじめて一致があると言っている。
私たちの内に働く御霊こそ大きく、そして私自身が小さくなることを祈り求めよう。

God Bless You!!


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