2021年8月14日(土)の手紙

2021年8月14日(土)


『わたしたちは神の信任を受けて福音を託されたので……。』テサロニケ人への手紙第一2章4節


「神の信任を受けて福音を託された」と語るパウロのこの言葉の中に、彼自身の自己理解を見る。
このことをさらにはっきり言っているのはテモテへの手紙であって、「主はわたしを忠実な者と見て、この務に任じて下さったのである」と記されている。

ここでパウロは、私自身が忠実な者ではなくて、神から忠実な者と見なしていただいた、そしてこの尊い職に任じられたと言うのである。

神に信任され、神の最も大事な福音を託されたのだと確信していたのであった。

私たちも今日、そのように福音を神から託されている。
だれでも道を歩いている人に、これを送り届けてくださいと一億も二億もの金を託す人はいない。
よく考えて、この人なら大丈夫という人に託す。

私たちは神から信任を受けた。
「この人なら大丈夫だろう」と、最も大事な福音をゆだねられたのだ。

「もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである」とパウロは言った。
それほどまでに信頼してくださった神に対して、もし私たちがこたえなかったら、これほど大きな罪はない、だから福音を伝えないことは罪であると言うのである。

そこに教会が、常に伝道し、福音を大事にしていくゆえんがある。

それは単に、キリスト教信者をふやすことではない。
私たちは、ほめられてもそしられても神の言葉を伝えていくことに集中していかなければならない。
それが、神の信任にこたえていく道である。

「人間に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を見分ける神に喜ばれるように、福音を語るのである」。

福音を語ることによって、人が怒りだすかもしれない。
パウル・シュナイダーは、福音を語り、福音に生きたがゆえに、虫けらのようにされて獄死した。

私たちも語ることによって、寝た子を起こすように人が怒ってくるかもわからない。
しかし、それを語ることを神から託されているなら、私たちはそれを語らずにはおられない。

「今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。
あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。
もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい」とパウロは言っている。

「わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい」。

このイエスの言葉に私たちは慰められつつ、福音を大胆に語る者となろう。

God Bless You!!


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