2021年12月6日(月)の手紙

2021年12月6日(月)


『それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。』ヨハネの福音書19章27節


主イエス・キリストが十字架の上で語られた第三のことばは、その母マリヤとその弟子ヨハネに対してでした。

「そこに、あなたの息子がいます」
「そこに、あなたの母がいます」

十字架は、神と人とを結ぶ和解の道ですが、また人と人とを結ぶ交わりの道でもあります。

人間が神より離れ、罪を犯したとき以来、人間はみな、自我を主張し、自己を中心とするエゴのかたまりになってしまいました。
ただ自分本位にものを考え、自己の存在のみを中心として、隣人を忘れ、隣人への愛を忘却してしまいました。

そこに、隣人との不和が始まり、交わりが失われ、時には争いとなり、闘争にまで進展していくようになったのです。
親と子、夫婦の間、兄弟同士、また友人間にも、醜い相克が始まり、断絶が生じてきたなのです。

この隣人を肉親以上に、真の親子、夫婦、兄弟、友人同士として、新しい関係に入れてくださるのが十字架の力なのです。

「そこに、あなたの息子がいます」
「そこに、あなたの母がいます」

主イエスの母マリヤと、弟子ヨハネとの間に、たとえ何らかの血縁関係があったとしても、それをそれ以上に親しい間柄に切りかえ、引き上げてくださるのが、イエス・キリストの十字架です。

イエス・キリストの十字架のあるところ、そこでは断絶は消え、相克はやみ、きよき愛による新しい交際が生まれてきます。

主イエス・キリストの十字架を仰ぎ、神の子としていただくとき、私たちはキリストによって新生し、神のご性質を宿し、愛をいだく者と変えられていきます。

そのとき、私たちの隣人は兄弟となり姉妹となってくるのです。
それは、肉親以上に深いかかわりのあるものとなってきます。

そして、それは、第一に、霊においての清い交わりとなります。
第二に、肉親以上の、真実と愛の交わりとなります。
第三に、それは、この地上だけでなく、永遠に続く、キリストにあるいのちの交わりとなります。

主イエス・キリストが十字架につかれたとき、私たちの人間関係の新しい変革が始まりました。
私たちはこれを知って、真心より隣人を愛する者とならせていただかなければなりません。

ですから、クリスチャンであると信じていて、家族の中で、また信者同士で争っていることがあるなら、その人はキリストの十字架を抜きにして生きていないかと考えてみる必要があるでしょう。

God Bless You!!


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